SNSで、ある一つの動画が静かな注目を集めています。
それは、92歳になるという中国人のお年寄りが、日中戦争の当時を振り返る証言動画です。
動画の中で、このお年寄りは自らの記憶を辿り、このように語ったとされています。
「日本軍が来ると、沿道の住民を騒がせないよう、まっすぐに進んでいった」
「子供たちには飴をくれた」
「話せば道理が分かる人たちだった」
そして、「日本軍は文明的な軍隊だった」と結ばれています。
この証言は、私たちがこれまで学校で学んできた歴史とは、少し異なる印象を与えるものかもしれません。
戦後80年という長い歳月が流れ、戦争を直接体験された方は、今や日本の全人口の1割にも満たないとされています。
そのため、こうした個人の体験談は非常に貴重なものである一方、その一つ一つを歴史の全体像と照らし合わせ、慎重に検証する必要があると専門家は指摘しているのです。
事実、日中戦争に関する歴史認識は、研究者の間でも様々な見解があり、一つの出来事に対しても多様な解釈が存在するのが現状です。
特定の証言だけを取り上げて、歴史のすべてを判断することは、とても難しいことなのです。
また、現代はSNSを通じて、誰もが情報を発信できる時代です。
こうした複雑な歴史問題が取り上げられると、様々な意見が交わされ、時に情報が一人歩きしてしまう危険性も指摘されています。
私たち情報を受け取る側にも、その出所を確かめ、多角的な視点を持つことが求められるのかもしれません。
この動画は特に、中国や台湾といった中華圏の方々から、多くの反響を呼びました。
寄せられた声の中には、このお年寄りの証言に共感を示すもの、自国の歴史教育に疑問を呈するもの、そして物事を単純化せず、冷静に捉えようとする意見など、本当に様々なものが見られました。
この92歳のお年寄りが語った記憶に対し、海外の人々はどのような思いを抱いたのでしょうか。寄せられた様々な声をご紹介します。
海外の反応
👨🏻🏫 台湾で日本時代を経験したお年寄りも皆そう言っていたよ。日本人は高慢ではあったが、道理をわきまえていた。それに比べて中国人は野蛮で理不尽だったとね(戦後、台湾に逃れてきた国民党と中国人のことさ)。
👱🏻♂️ だから、戦後になって台湾を接収しに来た国民党軍の大きな船が港に入ってきて、民衆が光復の師を歓迎しようと道に並んでいた時、彼らのボロボロの身なりを見て皆驚いたんだ。これが最初の認識の崩壊だった。
👩🏻🏫 当時の日本の目的は、大東亜共栄圏を築くことでした。日本人は自らの民族が他の民族より優れていると考えていたからこそ、その誇りから、弱者をむやみにいじめることはしなかったのです。台湾が良い手本ですよ。
👩🏻💼 こんな話は初めて聞きました。歴史の教科書では、日本軍は多くの中国人を残虐に殺したと書かれています。この話が本当のことなのか、私にはわかりません。
👱🏻♂️ 1943年、俺のじいさんが15歳の時、日本軍が村に進駐してきて、軍馬の世話をするために捕まったそうだ。臼を引くのが少し遅いと鞭で数回打たれたが、仕事が終わると米を一袋(五キロほど)持たせてくれたらしい。
👱🏻♂️ 年寄りたちが言うには、日本軍は人夫に物を運ばせても、ちゃんと給金と飯をくれたそうだ。
👩🏻💼 私の祖母は宣統二年の生まれで、かつてこんな話をしてくれました。東洋人(日本人)が高橋から南へ向かう時、皆、きちんと列をなして行進していたそうです。人々は道端で見ていてもよかったのですが、急に走り出したりすると、銃を向けられたと。
👱🏻♂️ 俺が子供の頃、祖母に尋ねたことがあるんだが、確かに一部の日本人は子供に優しくて、飴をくれたり、腹の痛い祖母に湯たんぽをくれたりしたそうだ。
👨🏻🏫 日本は1900年には既に小学校の義務教育がほぼ普及していた。日本兵は少なくとも小学校レベルの教養があったわけで、それは当時の中国で言えば地方の名士レベルに相当する。まさに文明の師と言えるだろう。🤔
👱🏻♂️ 日本人は清潔で衛生的だ。中国人は年に一度しか風呂に入らん。
👱🏻♀️ 人の良い話をしておきながら、呼び方は『鬼子』なのね🙄
👩🏻💼 それは生存者バイアスであって、全体を代表するものではないわ。
👨🏻💼 最悪なのは中国人だ。同胞が同胞を陥れ、その汚水をすべて日本人に浴びせる。昔もそうだったし、今もそうだ!
👨🏻💼 ある老人から、彼の家のあった冀中平原での八路軍の話を聞いたことがある。八路軍はまともなことをせず、毎晩のように仲間を拷問していて、その泣き叫ぶ声が響いていたそうだ。
👩🏻💼 最も多くの中国人を殺した人物は、今も水晶の棺の中で眠っているじゃない。そして今なお、億万の人々に崇拝され、敬われている。このことを思うたびに、もう救いようがないって思うわ😮💨
👱🏻♀️ 日本人の方が、中国の城管よりよっぽど文明的よ。
👱🏻♂️ 少なくとも、ロシアの連中よりはマシだったな。
👨🏻💼 私が小学生の頃、学校行事で高学年の生徒が農村へ行き、農民から昔の苦労話を聞いて旧社会を批判する、という催しがあったんだがな。批判しているうちに、いつの間にか新社会への批判になってしまっていたよ。
👨🏻💼 日本の話をすると、中国人はまるで爆薬でも食らったかのように、ありとあらゆる日本の悪行を、まるで見てきたかのように語り出す…。だが中国共産党の話になると、良い話ばかりで悪い話は一つもない。恥を知れ!!!
👨🏻💼 日本軍の中国大陸での行動は、二つの時期に分けて考える必要がある。東北に侵攻した当初は文明的な軍隊だったが、華東に入ってからは統制が効かなくなった。
👨🏻🏫 時間と場所によるだろうな。例えば、中華民国からの独立を望んでいた満州人は、大日本帝国に軍の駐留と協力を要請した。その時期の東北一帯では、日本軍は本当に良くしていた。だが、中国の他の地域では話が違った。
👨🏻💼 コメント欄で何を争っているんだい。日本軍とて一人の人間じゃない。規律を守る者もいれば、無辜の民を殺す者もいた。体験者それぞれに違う話があるのは、ごく自然なことじゃないか。
👩🏻💼 満州は、日本が撤退する際に武器を置いていった。だから中国共産党がそれを利用し、支配下に置いたのさ。
👨🏻💼 内部が不安定だからこそ、その矛盾から目をそらすために、外部に『必要悪』を作り出さなければならないのさ。
👨🏻💼 中国人の野蛮さは、骨の髄まで刻み込まれている。城を丸ごと虐殺したりするのは、中国の歴史では最もありふれた非人道的行為だ。そんな伝統を持つ民族が、『南京大屠殺』の真偽をどう見るか。あれは中国人の思考回路が生み出したプロパガンダだ。
👨🏻🏫 大東亜共栄圏は、ただの口先だけではなかった。大英帝国がその日の沈まぬ帝国を築く過程で、近代文明を世界中に広めたのと同じようなものだ。
コメントは以上になります。
ご老人の証言をきっかけに、多くの、そして多様な声が寄せられました。
そこから見えてくるのは、国が教える公式の歴史とは別に、家族や地域で語り継がれてきた、一人ひとりの異なる記憶が存在するということです。
また、過去の出来事への評価が、現在の自国政府や社会に対する複雑な感情と深く結びついていることも分かります。
歴史とは、決して一つの物語ではないのかもしれません。
戦後80年という時を経てもなお、人々の心の中で生き続けるこのテーマについて、私たち一人ひとりが、より深く歴史と向き合っていくことが求められているのではないでしょうか。
そうして過去を正しく理解しようと努めた先にこそ、国や民族を超えた、真の相互理解への道が開かれていくのかもしれませんね。
コメント
こういう翻訳記事は永く残して欲しい。
みんな忘れてるけど日本軍には当然朝鮮人もいたんだよ。
数はものすごく少ないよ
1943年末でも通算で2万人行ってない
その後の動員でも日本人780万人に対し
朝鮮人24万人で台湾人20万人と変わらん
続きは「朝鮮人日本兵」Wikipediaで
確かに日本”軍”の悪行ではあったが日本”人”とは基本無関係
高麗棒子とは分けて考えてもらわんとね
共産党も国民党も内情は軍とは言い難い893みたいなゴロツキの傭兵ばかりだった。
Aの村を襲撃して悪行を重ね、Bの街で日本軍がAの村を襲って食料や女を〇〇した!みたいに日本軍のせいにして触れ回っていたらしい。
意味ないやろ、永久敗戦国は永久戦勝国に叩かれ続ける、誰も反論しないし、ヘタレ民族の運命だ
少し前はこう言う中獄の老人の話沢山あったんだけど
人も消されたのか一時期無くなってたよな
真実を知るものは文革で皆殺されたから
残りはこう言う老人しかいなかった
南京入場⬅️検索するといいよ日本軍が南京市民に歓迎されてる動画残ってるから
なんで歓迎されるかと言えば南京市民を襲ってるのは中国人だから
日本軍は守ってくれるからやで
南京市長から日本軍は感謝状貰ってる
南京大虐殺(大嘘)
中国は反日しない方が栄えたろうにな
南京大虐殺なんか大嘘だからな共産党のプロパガンダ、0~30万人⇒300万人⇒終いには3000万人まで割増しw単なる事件かも怪しい
中国の軍隊と言っても実態はヤクザのような傭兵が主体だった。
中国の村で略奪や残虐非道な行いをして よその地域に行き、日本軍がやったと触れ回っていたそうな。
一番中国人を殺した者は霊廟の中で防腐処理された死体を晒してるな