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【日本人として知っておこう】阿Q正伝から解る中国人の特徴 その1

【海外の反応】
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先日、東京都千代田区にある靖国神社で、神社の入り口に立つ石柱に中国人が赤いスプレーで英語の「Toilet」と書いた事件の動画を配信いたしましたが、非常にたくさんのコメントが寄せられておりました。その中に中国人の犯罪行為に対しての称賛の声や、「見廻る警察官が少ない」、「たまたまトイレ行きたくなっただけ」、「日本人にとってこれは大したことない」というコメントも含まれていました。

SNSで和気ニャンさんが、同じようにポストしていたのですが、それに対して台湾史.jpさんが「こういう幼児のような支離滅裂な言い訳をするのは自分で自分のメンツを立ててるわけで、自分に向けて言い訳してるから、支離滅裂でも何でも良いし、他人がどう思おうとどうでもいい。日本人にはかなり理解し難いが、彼らは賛美しているわけではない(してる人もいるが)。自分のメンツがつぶれたので、メンツを立てるために自分に対し言い訳をしてメンツを保っている。そして、そうなんだと自分で自分に言い聞かせている。」とコメントされていました。

この思考パターンを、中国の作家である魯迅は「精神勝利法」と名付けており、一見偉そうで面の皮が厚そうに見えるが、裏を返せばそれだけヘタレだということなのだそうで、自分で自分のメンツを立てないといけないくらい、メンタルが弱いのだそうです。面の皮が厚く見えるのはそのせいであり、実は言葉の威勢はいいが他人にメンツをつぶされたくないただの自己防衛にすぎないのだそうです。そしてそれを台湾人や香港人は見抜いており、中國人的玻璃心(ガラスのハート)とおちょくりの対象になっているのだそうです。

魯迅はそんな中国人の特徴である「精神勝利法」を小説「阿Q正伝」に記しています。我々日本人には理解しがたいものでありますが、要は自分で自分に言い訳をして、自分を納得させることが、彼らにとってメンツを保つことらしく、他人がどう思うかはどうでもいいのにメンツが立ったと言えるのか非常に謎な考え方なのですが、こういう特徴を知っておくことはこれからの時代特に大切になってくるかと思いますので、その「阿Q正伝」をご紹介したいと思います。

それではどうぞ

阿Q正伝

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第一章 序

私が阿Qの伝記を書こうと思ったのは最近のことではありません。しかし、書こうと思ってはまた考え直していました。これを見れば、私が物語を作る人間でないことがわかるでしょう。従来、素晴らしい文章は素晴らしい人物の伝記を書くものでした。人物は文章によって後世に伝えられます。つまり、その人物は文章に頼って伝えられるので、次第にはっきりしなくなってきます。阿Qの伝記を書こうとすると、彼の思想の中に何かわからないものがあり、結末がよくわからなくなってしまいます。


この簡単な文章を書くにあたって、私はさまざまな困難に直面しました。まず第一に、文章の題名が分かりませんでした。孔子は「名前が正しくないと話がおかしくなる」と言っています。これは本当に注意すべきことで、伝記の題名にはいろいろありますが、どれも阿Qの場合には合いません。


列伝(歴史書に収められた伝記)とすれば、阿Qは偉人ではありません。自伝とすれば、私は阿Q本人ではありません。外伝(補足資料)とすれば、本伝(本来の伝記)がありません。内伝(秘伝)とすれば、阿Qは神仙ではありません。別伝(別の伝記)とすれば、阿Qには正式な伝記がありません。家伝(家系図)とすれば、私と阿Qは同じ家系ではありません。小伝(小さな伝記)とすれば、阿Qには大伝がありません。結局、この文章は「正伝」と呼ぶべきですが、私の文体があまりにもくだけているので、そんな堂々とした題名はつけられません。そこで「閑話休題、言帰正伝」という決まり文句から「正伝」の二文字を選びました。


第二に、伝記を書く時は通常「○○、名は○○、○○の出身」と書きますが、私は阿Qの本当の姓を知りません。一度彼が趙(チャオ)と名乗ったことがありましたが、すぐに曖昧になってしまいました。


第三に、阿Qの名前の書き方がわかりません。生きている間は皆「阿Quei」と呼んでいましたが、亡くなった今ではもうそう呼ぶ人はいません。この文章が最初なので、この難題に最初から直面します。「阿Quei」は「阿桂」または「阿貴」かもしれません。もし彼に「月亭」という号があり、8月中旬に生まれていれば「阿桂」でしょう。しかし彼には号がありません。兄弟が「阿富」と名乗っていれば「阿貴」でしょう。しかし彼は一人っ子です。発音は同じでも意味が変なものは避けたいので、結局ローマ字の「阿Quei」を省略して「阿Q」と書くことにしました。


第四に、阿Qの出身地がわかりません。もし趙姓なら出身地も書けますが、その姓は確かではありません。彼は主に未荘村に住んでいましたが、ときどき他所にも住んでいました。「未荘の人」と書くのも適切ではありません。


一つ確かなのは、「阿」の字だけです。他のことは私には分かりません。ただ、歴史の専門家が将来新しい発見をするかもしれません。しかしその時には、この「阿Q正伝」は消えてしまうかもしれません。

第二章 優勝記略

阿Qは姓名も出身地も少しわからなかった。彼の過去の経歴もはっきりしなかった。未荘の人々は阿Qを使い走りにしたり、からかい半分に扱っていただけで、彼の経歴には興味がなかったからだ。阿Q自身も過去の話をしたことはなかった。ただ、たまに人と喧嘩になると「昔はもっと立派だったんだぞ。俺を見くびるなよ」と言うくらいだった。

 

阿Qには家がなく、未荘の土穀祠に住んでいた。仕事は日雇いで、人に頼まれれば麦を搗いたり船を漕いだりした。暇な時は主人の家で寝泊まりし、仕事が終われば出て行った。人々は仕事の時だけ阿Qのことを思い出した。暇を持て余せば、阿Qの存在も忘れ去られた。ただ一度、おじいさんが「阿Qは何でも上手にこなすね」と言ったことがある。阿Qはその言葉を深く喜んだ。

 

阿Qはとてもえらそうで、未荘の人々をなじっていた。ひどいことに、将来秀才になるかもしれない「文童」たちにも同じ態度をとった。秀才の父親である趙太爺や錢太爺が村人に尊敬されているのを見ると、阿Qは「俺にも息子がいれば偉くなれたのに」と思った。村の外にも何度か出かけた経験から、都会の人々を見下すようになった。例えば、未荘では長椅子を「長登」と呼ぶが、都会では「条登」と言うのは間違いだ、と阿Qは考えていた。また、鱈の煮つけに未荘では長ネギを入れるが、都会では小口切りにしてあるのを見て「間違っている」と思った。しかし未荘の人々は、都会の料理さえ見たことがない田舎者だった。

 

阿Qは昔は裕福で見識が高く、何でも上手にこなせる一流の人物だった。しかし、ひとつ欠点があった。頭に禿げた所があり、その部分は少し変な皮膚病があった。阿Qはその言葉を嫌って、「癩」という言葉さえ避けた。後には「亮」「光」「燈」「燭」といった言葉も全て避けるようになった。もしだれかがそういう言葉を言おうものなら、阿Qは頭の禿げた部分が真っ赤になり、強気な相手には黙り込み、弱そうな相手を殴りつけた。しかし結局はいつも阿Qが殴られ損ねた。そこで阿Qは方針を変え、ただ目を怒らせて睨むようになった。

 

しかしそうするとかえって、未荘のおちょくり者たちに付け狙われるようになった。阿Qの顔を見るなり「明るくなってきたね」と言う。阿Qが睨み返しても、彼らはさらに「ランプだね」と言って大笑いした。阿Qも負けじと「おまえらなんか相手にならない」と反論した。自分の禿げ頭こそ、高尚で光栄なものだと思っていた。でも阿Qには見識があり、あまり過ぎると規則違反だと思って黙った。するとおちょくり者らは阿Qを殴りつけ、引っ張り回し、壁に何度も頭をぶつけた。

 

阿Qは一人で立ち尽くし、「俺は子供に殴られたんだ。世の中は乱れている」と心の中で思った。しかし次の瞬間、「俺は虫けらさ。だから俺を殴ってもかまわない。虫けらを殴ったと言えばいいんだ」と自分に言い聞かせ、満足げに立ち去った。

 

阿Qはこの自己正当化の言葉を最初は心の中で思っていたが、やがて口に出すようになった。そのため、からかう者たちは、阿Qに精神的な勝利法があることを知ってしまった。次に阿Qの辮子を引っ張ろうとすると、最初に「阿Q、これで子供が親を殴るのか?人間が畜生を殴るのか?自分で言ってごらん」と言うようになった。

 

阿Qは辮子で両手を縛られながら、「虫けらを殴ったと言えばいいだろう。俺は虫けらなんだ。…まだ放さないのか」と答えた。しかし「虫けら」と言っても、相手は決して辮子を放さなかった。いつものようにごく近くの壁に阿Qの頭を何度もぶつけ、そこで初めて満足げに立ち去った。

 

しかし10秒もたたないうちに、阿Qも満足げに立ち去った。阿Qは気づいたのだ。「俺こそが自分を賤しむことのできる第一人者なのだ。状元(トップの合格者)以上に偉い人間なのだ。人を見くびるな」

 

そんな風に妙な理屈を這することで敵を撃退した後、阿Qは酒屋に走り、酒を飲みながら他の人々とももめ事を起こし、最後には勝ち誇って土穀祠に帰り、眠りについた。

 

もし金があれば、阿Qは賭博にも出かけた。一番大きな声を出して賭けを呼んでいた。「青竜四百!」しかし結局は、こくり手の歌に合わせて自分の賭け金が次々と持っていかれていった。遂には借金を重ね、赤眼で仕事に出ていた。

 

しかし「塞翁が馬を無くしても、それは決して不幸ではない」。阿Qは賭博で一度勝ったことがあったが、それが原因でかえって大損失を被った。

 

それは未荘の祭りの晩のことだった。芝居の横で例による賭博場が開かれていた。阿Qは掛け声に酔いしれ、勝ちに勝ち続け、賭け金が山と積み上がっていった。「天門両塊(最高賭け金)」と大声を上げた。

 

そのとき何者かの喧嘩騒ぎが起き、物々しい音とけんかの声に眼が覆われた。気がついたときには、賭博場も人もいなくなっていた。阿Qは痛めつけられ、壁に何度もぶつけられたらしい。ぼんやりとした中、土穀祠に戻ると、積み上げた金は全くなくなっていた。賭博場の人間は村の者ではなく、どこに行っても尋ねようがなかった。

 

かつてピカピカの銀貨が山のようにあったのに、今はない。子供に盗られたと思えば気もすまない。自分は虫けらだと開き直ればいいが、それでも気が済まない。阿Qは今度こそ失敗の苦痛を感じた。しかし彼はそれを逆手にとって、自分の顔を思い切り殴った。熱くなり、痛みを感じたが、心は落ち着いてきた。殴ったのは自分だが、殴られたのも別の自分だった。自分が人を殴ったような気分になった。熱くはなったが、阿Qは満足感に酔いしれ、そのまま眠りについた。

 

本日はここまでになります。

 

阿Q正伝の冒頭は、物語の主人公である阿Qに関する基本情報を提供しながら、その曖昧さと矛盾が強調されていましたね。

特に、阿Qの名前や出身地、過去の経歴が明確にされないことで、彼の存在自体が一種の象徴として描かれていることがわかります。

また、彼の自己正当化や精神的な勝利法が詳細に描かれており、阿Qがいかに自分の現実と向き合い、自己防衛しているかが浮き彫りになっています。

社会から疎外された存在でありながら、独自のプライドを持ち続ける阿Qの姿は、社会の矛盾や不条理を風刺的に表現しています。

阿Qの複雑なキャラクターと、彼を取り巻く社会の冷酷さが鮮明に伝わる章となっていました。

次回は第三章 続優勝記略 からになります。


お楽しみに。

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